4月23日甲府で簡単パレスチナお料理教室

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

生産者とその背景

生産者の状況は随時、通信『ぜいとぅーん』で報告しています。

  • イスラエル:1948年以降イスラエル領(総人口約800万人中約150万人がパレスチナ人)
  • ガザ地区・ヨルダン川西岸地区:1967年以降イスラエル被占領地[パレスチナ自治区](パレスチナ人人口約440万人、点在する入植地に約50万人のイスラエル人が住んでいます)

この他、世界各国に約540万人のパレスチナ人が住んでいます。


「ガリラヤのシンディアナ」について

 「ガリラヤのシンディアナ」は、 パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル)を中心に活動する生産者団体であり、高品質なオリーブオイルなどを生産し国内外に販売しています。1996年に、HPH(後述)の農業部門として発足し、その後、一つの組織として独立しました。農家がオリーブ栽培を 発展させること、生産意欲と収入を高めること、女性の仕事を作ることを目的としています。2003年、IFAT(国際オルタナティブ・トレード組織連盟) へ加盟しました(現WFTO:世界フェアトレード機構)。

 また、ナーブルス(ヨルダン川西岸地区)で作られている高品質のオリーブ石けんを海外に紹介、販売してパレスチナ自治区の産業も支援しています。

  • 運営スタッフ(ユダヤ系イスラエル人とパレスチナ人)
  • ガリラヤ地方のパレスチナ人女性たち(オリーブオイルのボトル詰めなど)
  • オリーブやザータルなどを栽培する契約農家
  • オリーブオイル圧搾工場

この他、農業専門家、ボランティアスタッフなど多くの人たちが協力して活動が行われています。

シンディアナの活動と代表のハダスさんについて紹介した『フォーブス』(アメリカの経済誌)の翻訳記事

 

目的

以下「ガリラヤのシンディアナ」のリーフレットの一部を翻訳して紹介します。
(ここでいう「アラブ人」はイスラエル国籍のパレスチナ人のことです。)

 「ガリラヤのシンディアナは、女性を中心としたフェアトレード団体です。アラブ農家のオリーブオイルを国際市場に売ること、その利益をアラブ女性へのエンパワメントにつなげることで『平和のためのビジネス』を促進しています。それと同時に、分裂に橋をかけ、持続可能な農業を応援し、有機栽培をサポートしています。」

 「1996年に設立されたガリラヤのシンディアナは、アラブ人を支援するイスラエルで唯一のフェアトレードのオリーブオイルです。私たちの目的は、素晴らしいオリーブオイルをつくることだけではありません。私たちは、アラブ人とユダヤ人の協働を推し進め、フェアトレードとアラブ女性の働く機会を促進し、ガリラヤの農業生産者を支援しています。私たちガリラヤのシンディアナは、社会変革を求める女性たちが中心となった、独特の非営利組織です。」

効果

  • 高品質なオリーブオイルづくりの広がり
    すべての契約農家は、オリーブの質を高めるための栽培方法を採用しています。「シンディアナ」が高品質なオリーブオイルの安定的な買い入れのパートナーになりました。「シンディアナ」のスタッフも、内外のオリーブオイルの専門家によるセミナーに参加するなど高品質のオイルをつくっていくためにさらに勉強を 続けています。
  • マーケティング
    「シンディアナ」の設立は、イスラエル企業に独占されている市場にパレスチナ農民のオリーブオイルを販売する道を開きました。「シンディアナ」は1997 年に設立して以来、国内市場と海外市場で販売していましたが、2000年以降イスラエル市場の需要が落ち込み、海外への積極的な売り込みを始め、現在は 90%以上をフェアトレードで海外に販売しています。
  • 女性のエンパワーメント
    オリーブ倉庫で働いている女性たちは、ボトル詰めを行なうだけでなく、月に1回はミーティングを持ち、オイルや仕事の質、シンディアナの計画、問題点、達 成点などを話し合い、生産過程にかかわっています。これは、女性に安定的な職を作りだすだけでなく、結婚後もアラブ・パレスチナ女性が働く事ができるの だ、ということを示す点でも意味があります。

このほか、収穫や苗木の植樹のときにユース・ボランティア(パレスチナ人、ユダヤ人、外国人)が協力したり、と複合的な活動を行い、地域に刺激を与えています。

「ガリラヤのシンディアナ」には以下の団体と連携して活動しています(別組織なので、会計・運営などは全て別です)。

●HPH(ハニトッツ・パブリッシング・ハウス)

■出版部門
アラビア語月刊誌al-Sabbar、英語隔月誌Challenge、ヘブライ語季刊紙Etgarを出版。オルタナティブ情報満載(2008年秋からオンライン記事に移行しました)。

■教育部門
女性フォーラム、子供向けの放課後授業、ユースキャンプ、ワークショップなど教育・文化・社会活動などを行なっています。ナザレやコフル・マンダ村(ガリラヤ地方)のマアンの事務所を使って活動をしています。

●マアン(WAC=ワーカーズ・アドバイス・センター)
イ スラエル国内で民族的・階級的に差別されているパレスチナ労働者のための労働組合。ナザレ、ガリラヤ地方、東エルサレムに事務所があります。具体的には、 建設会社や農場へパレスチナ人労働者の雇用、労働条件の改善を求め、イスラエル内のパレスチナ人、東エルサレムのパレスチナ人の仕事を獲得しています。 「ガリラヤのシンディアナ」と共同でカゴ作り・販売のプロジェクトを開始しました。

イスラエルのパレスチナ農業と生産者をめぐる環境

オリーブは中東地域原産の基本的な農作物の一つであり、何世紀にもわたってこの地域のアラブ農民を支える大黒柱でした。1948年のイスラエル「建国」以来、農地の没収や水の配分の不公平さのために、柑橘類やタバコのような伝統的に利益をもたらしてきた作物が栽培が難しくなった中で、オリーブはイスラエル国内でパレスチナ農民たちが今も生産者の多数を占めている唯一の作物となっていました。パレスチナ人たちにとってのオリーブの木は土地とのつながりや共同体の継続性を象徴するものです。

しかし、イスラエル国内のパレスチナ人が生産したオリーブ油の流通や販売は、ずっとイスラエル当局によって妨害されてきました。イスラエル農業省は、パレスチナ人のオリーブの栽培を奨励したり援助したりすることは一切せず、十分な水の割り当ても行いませんでした。市場もイスラエル企業によって独占されており、農民の収益は低い状態に置かれています。近年、イスラエル市場では、もっと安い輸入物がヨーロッパなどから入ってきたこと、パレスチナとの「和平」も崩壊し、経済も破綻してきている(株価の下落、GNPのマイナス成長)ことから、イスラエル市場で販売していくことはさらに難しくなってきました。

イスラエルのパレスチナ人

パレスチナの地にユダヤ教徒の国イスラエルを作ろうという、19世紀末からのシオニズム運動の結果、1948年前後には70〜100万人のパレスチ ナ人が故郷を追われて難民となり、また約80万人のパレスチナ人がヨルダンあるいはエジプトの統治下に置かれた一方、約15万6千人のパレスチナ人がイス ラエル領内にとどまりました。イスラエル領内のパレスチナ人都市・町村は1966年まで軍政下に置かれ、多くのパレスチナ人所有地がイスラエルに接収され ました。1967年には第三次中東戦争が起こり、その結果、ガザ地区とヨルダン川西岸地区への新たな占領が始まりました。現在、イスラエルのパレスチナ人 は約120万人に達し、イスラエル総人口(約620万人)の2割弱を占めています。

彼らは、イスラエル国籍を持つもののユダヤ人の一段下の二級市民として扱われ、3K労働以外の仕事に就くことは難しく、経済的にも厳しい状況に置か れています。また、自らをアラブ系イスラエル人と認識するか、パレスチナ人として認識するかなどの文化やアイデンティティの問題、自治などの政治的問題等 複雑な問題を抱えています。

 


ナーブルスの石けん工場

 パレスチナ・オリーブ石けんは、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスの石けん工場で作られ、「ガリラヤのシンディアナ」から出荷されています。

 オリーブの実とオリーブオイルはパレスチナのあちこちで取れますが、オリーブ石けんは古くからの産業都市ナーブルスがもっとも有名で、500年前以上前からオリーブ石けんを製造していたと言われています。大半のオリーブ石けん工場は代々引き継がれています。パレスチナ・オリーブ石けんを作っているのは、ナーブルス伝統の石けん工場を営む家系の一つティベーレ家で、職人さんや事務スタッフ、約15人が働いています。本当に「心から石けんを愛している!」という人たちで、小さな町工場のような雰囲気です。

 ティベーレさんの家系は、代々、石けん製造の職人ですが、お父さんの代まではナーブルス中心部にある小さな工場で作っていました。それを現在の工場主が引き継いで発展させ、ナーブルス郊外に工場をつくったのが2000年。ところが、直後からイスラエルの軍事侵攻が激しくなり、石けん工場は軍事封鎖地域になってしまいました。7年間工場に行くことができず、その間は、小さな倉庫を間借りして、より良い石けんの開発に努めていました。2007年から新しい工場に移りましたが、そこも手狭になり、2013年に隣の敷地に大きい工場を作りました。いま、品質が認められ、世界各国に売り先を広げています。

 地元の原材料で作られた最高の品質のオリーブ石けんをこそ海外に紹介・販売して、活動を広げる、そしてパレスチナと経済的に結びあっていこうと考えていた「シンディアナ」、純粋に混ぜ物なしの理想のオリーブ石けんを形にしたい、世に出したいと考えてきた石けん工場。この両者が出会って高品質のオリー ブ石けんが作られています。2000年からの第2次インティファーダ以降、ナーブルスにあった20以上の石けん工場の数は4、5に減ってしまったと言われています。分離壁や検問所でパレスチナの産業の発展が妨げられている中で、働く人たちと石けん産業の維持を支援することが重要だと思います。

ナーブルス

石けん工場のあるナーブルスは、エルサレムの北63kmの所に位置する内陸部の都市で、山の狭間にありもともと水が豊かで緑に囲まれていました。およそ9000年前からアラブ・カナーン人の町として発達したと言われている歴史ある町です。

 1948年にイスラエルの建国が宣言され第1次中東戦争が起きてから、ヨルダン川西岸地区はヨルダンの統治下に置かれてきましたが、1967年の第 3次中東戦争でイスラエルに占領されました。1993年にはイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)の間で暫定自治合意(オスロ合意)が結ばれ、その後 パレスチナ自治政府の管轄となりましたが、現在いわゆる「和平プロセス」は崩壊し、パレスチナ国家の独立が果たされてないだけでなく、イスラエル軍による 再占領が行われています。

 とくに2000年9月末以降は、ナーブルスでもイスラエル軍の侵攻、空爆、町の封鎖、外出禁止が断続的に行われてきました。2017年現在、2000年〜2004年のような外出禁止令や町の封鎖はなくなりましたが、検問所の封鎖となれば原料の調達もできず、石けん工場へ行くこともできないという状況に変わりはありません。また、製品となった石けんをナーブルスの外に運ぶにも検問所や分離壁に妨げられコストがかかります。


イドナ女性組合

1998年設立、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村で刺繍製品を生産し、スンブラ(パレスチナの女性生産団体ネットワーク)や、パレスチナ・オリーブを含むいくつかの海外の団体に販売しています。メンバーは、村の女性約55名(縫製4人、刺繍50人)。中心スタッフ3名がセンターに常駐し、刺繍は各家庭で空いた時間に行なっています。女性たちの仕事がそれぞれの家庭で貴重な現金収入源になっています。

イドナ村

イドナ村は、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)南部にある小さな村です。グリーンライン(1949年停戦ライン)沿いにあり、分離壁によって村の土地が分断されています。以前はイスラエルへの出稼ぎが多かった場所ですが、いまはほとんど許可が出ません。家庭菜園のように野菜を作ったり、パレスチナ自治区の中心ラマッラーに仕事に通ったりというのが、わずかな仕事です。

投稿日:2017年02月01日(水)
この記事のURL:http://www.paleoli.org/?eid=11